私が長年、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作小説とスタジオジブリの映画版の両方を愛してきました。『ハウルの動く城』の物語が終わった後、ハウルとソフィーがどのような人生を歩んだのか気になる人は多いでしょう。
実は原作小説には明確な続編があり、映画版には隠された裏設定が存在します。今回は、私が調べ上げた二つの異なる「その後」の世界について詳しく解説します。
原作小説で描かれる「その後」|ハウルとソフィーの結婚生活
原作であるダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説では、物語はハッピーエンドで終わりません。ハウルとソフィーは結婚し、現実的で騒がしい家庭生活を送ることになります。
原作者が描いた正史としての続編は2冊あります。『アブダラと空飛ぶ絨毯』と『チャーメインと魔法の家』です。
第2作『アブダラと空飛ぶ絨毯』での受難
1作目の終了から数年後を描いたこの作品では、ペンドラゴン家は大きなトラブルに巻き込まれます。
私が特に驚いたのは、ハウルとソフィーが人間の姿でほとんど登場しないという点です。
彼らは強力なジン(魔神)によって呪いをかけられ、姿を変えられています。
しかし、その強烈な個性は姿が変わっても健在でした。
ハウルは魔神になりソフィーは猫になる
ハウルは自由を奪われ、瓶の中に閉じ込められた「魔神」として登場します。彼は主人の命令に従わなければならない状況でも、不平不満を漏らし続け、相変わらずの手のかかる性格を発揮していました。
一方、ソフィーは「ミッドナイト」という名前の黒猫に変えられています。彼女は猫の姿になっても、理不尽な状況に鋭い爪で対抗し、周囲を威嚇する強さを持っていました。
息子モーガンの誕生と家族の絆
この物語の最大のトピックは、二人の間に息子「モーガン」が誕生していることです。ソフィーは猫の姿のまま出産し、子猫のような赤ん坊を育てていました。
どんなに姿を変えられても、二人はお互いと子供を守ろうと必死に行動します。ここには、恋人同士から「親」へと変化した二人のたくましい姿がありました。
第3作『チャーメインと魔法の家』での活躍
さらに数年後を描いた第3作では、彼らの子供モーガンも成長しています。ペンドラゴン家はハイ・ノーランド王国という別の国で、新たな事件に関与します。
ここでは、すでにベテランの魔法使い夫婦としての貫禄が見られます。二人の関係性はより熟成され、阿吽の呼吸でトラブルを解決していくのです。
幼児化したハウルと貫禄あるソフィー
ハウルはこの作品でも変装をしていますが、その姿はなんと「愛らしい幼児」です。「トゥインクル」と名乗り、無邪気なふりをして周囲を振り回しますが、裏では王国の危機を救うために奔走していました。
ソフィーはもはや自信のない少女ではありません。「ソフィー・ペンドラゴン」として、強力な言霊魔法を使いこなし、夫と息子を叱り飛ばしながら事態を収拾します。
魔法使いとしての社会的地位と育児
二人は単なる冒険者ではなく、王室から信頼される魔法使いとしての地位を確立しています。ハウルは王女や国王と連携し、政治的な問題にも関与していました。
一方で、家庭内では育児と家事に追われる描写がリアルに描かれています。彼らの「その後」は、魔法と生活感が同居する、賑やかで幸せな日々でした。
ジブリ映画版の「その後」|平和な空の旅と裏設定
宮崎駿監督による映画版は、原作とは異なる独自の結末を迎えました。映画の「その後」は、戦争の終結と、血の繋がらない家族の再生がテーマになっています。
私が映画から読み取ったのは、戦いからの解放と永遠の安息です。彼らは特定の国に縛られず、空の上で自由に生きていくことを選びました。
戦争の終結と新たな家族の形
映画のラストで、マダム・サリマンは戦争の終結を宣言します。これにより、ハウルは軍事利用される恐怖から解放されました。
動く城は地上を這う鉄の塊から、庭園のある空飛ぶ城へと変化します。これは、彼らが地上のしがらみから離れ、真の自由を手に入れたことを象徴しています。
契約からの解放と自由な共生
カルシファーは契約から解放され自由になりましたが、自らの意思で戻ってきました。彼らを繋いでいるのは、もはや魔法の契約ではなく、互いを思いやる心です。
この関係性の変化こそが、映画版の最大の救いです。ハウルとソフィー、マルクル、そしてカルシファーは、対等な友人として共に暮らしていくことになります。
荒地の魔女やカブとの関係性
映画版の特徴的な点は、かつての敵である荒地の魔女を家族として受け入れたことです。ソフィーの愛は、自分に呪いをかけた相手さえも包み込むほど深く成熟しました。
隣国の王子であったカブも人間に戻り、平和の使者として帰国します。彼らの存在は、ハウルたちの生活が外界とも平和的に繋がっていることを示唆していました。
知られざる過去を描く『星をかった日』
映画版の世界観を深く理解するために欠かせない作品があります。ジブリ美術館限定の短編映画『星をかった日』です。
この作品は独立した物語のように見えますが、実はハウルと荒地の魔女の「過去」を描いています。私はこの裏設定を知った時、本編の見方が大きく変わりました。

若き日のハウルと荒地の魔女の恋
短編に登場する少年ノナは若き日のハウル、魔女ニーニャは若き日の荒地の魔女とされています。制作陣の対談では、二人の間に過去に深い関係があったことが示唆されていました。
映画本編で荒地の魔女がハウルに執着するのは、単に心臓が欲しいからだけではありません。かつて愛した少年を取り戻したいという、切実な思いが隠されていたのです。
映画本編の深みが増す円環構造
この過去を踏まえると、ソフィーが荒地の魔女を介護するラストシーンはより深い意味を持ちます。ソフィーは夫の元恋人の最期を看取るという、業の深い役割を果たしていることになります。
過去の因縁をすべて受け入れ、それでも前に進む。映画版の「その後」には、そんな大人びた覚悟と赦しが含まれているのです。
原作と映画の決定的な違い|二つの世界線の比較
原作と映画では、描かれる「幸せ」の形が全く異なります。私が整理した主な違いを以下の表にまとめました。
| 比較項目 | 原作小説の世界線 | 映画版の世界線 |
|---|---|---|
| 家族の形 | 結婚と出産による血縁家族 | 絆で結ばれた疑似家族 |
| ハウルの性格 | 見栄っ張りで責任回避癖あり | 愛する人を守る戦士へ成長 |
| ソフィーの役割 | 強力な魔女であり母親 | 包容力のある聖母的な存在 |
| 生活の拠点 | 地上の家(城とポータルで接続) | 空を飛ぶ動く城 |
| 主なテーマ | 日常生活と魔法の融合 | 戦争からの解放と愛 |
「家族」の在り方の違い
原作の二人は、子育てや親戚付き合いといった現実的な問題に直面します。そこにあるのは、魔法使いといえども逃れられない「生活」のリアリティです。
対して映画版は、世俗的な義務から離れたユートピアを描いています。彼らは社会システムの外側で、自分たちだけの穏やかな時間を過ごしていくのです。
ハウルの成熟と魔法の役割
原作のハウルは、父親になっても子供っぽい性格が抜けません。しかし、その欠点を含めて愛されるキャラクターとして描かれています。
映画のハウルは、ソフィーを守るために傷つくことを恐れず戦いました。彼の魔法は、見栄を張るためのものではなく、大切なものを守るための力へと変わったのです。
まとめ|物語はそれぞれの形で続いていく
『ハウルの動く城』の「その後」は、原作と映画で異なる二つの魅力的な道筋を辿っています。原作では賑やかな家庭劇が、映画では穏やかな愛の物語が展開されていました。
どちらの結末も、ハウルとソフィーが幸せを見つけたことに変わりはありません。私たちは好みの世界線を想像し、彼らの終わらない旅に思いを馳せることができます。
これから作品を見返す際は、ぜひこの「その後」の物語を意識してみてください。きっと、これまでとは違った新しい発見があるはずです。

